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T.Hathaway's🇺🇸U.S. STOCKS LONG RUN

人生観、投資

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2017年始まった

ついに明けた。やっと終わった大殺界。3年間本当に長かったなあ。全くもって実感ないけど、振り替えると本当に色々あった3年。キツかった、よくぞ耐えたな、火星人マイナスの自分自身。だからといって大底抜けた実感まったくもってゼロなわけだが。内容の濃い事案が色々ありすぎて、なんだか整理つかないけれど、前を向いて歩いていかねば。

 

退場くらわずなんとか生きている米国株だけは唯一の救いではあったな、そして、米国株始めたことでの、ゆるいようで、なかなか強い絆のようなつながり。遠くともなんとなくどこかで同じ志を持ってる人達を知れたことは本当に孤立無援の村八分状態への力強い支柱的な存在だと思う。人間関係の断捨離、これ本当に大切だと思う。あと数ヵ月でついに36歳になるんだな、残りの人生を計算して生きる計画をしっかりとたてないとな。

 

今日読んだ本での強い衝撃。ユダヤ教の教えのひとつのツェダカ。これは寄付などの慈善行為のこと。ツェダカは貧しい人を助けるということ以外に「正義」という意味も合わせ持つ言葉。貧しい人も他の誰もが等しく神の子である。しかし彼は貧困でこの世の財産の相続を奪われた。そうなると、彼は憐れみの対象ではなく、権利を、それも普通に生きるという権利すら否定された人。社会が正しければ、そんな不公平は起こりうるはずはなくて、だからこそ慈善行為は単なる思いやりではなく集団の過ちに対する修正だと。つまりここに「正義」“justice”がある。貧困にあえぐ人を助けることで、その集団は失われた調和を回復する。そして全体が良い方向へ向かっていけるわけだ。

 

日本社会には寄付文化は無い。道徳も教科書朗読の詰め込みと無理矢理やらされる感を押し付けられて教わるだけで、自ら考えての行動や実践を通して学ぶ機会はほぼ皆無。詰め込み教育に奪われた時間の合間に勝手に自ら努力しそういう機会を得て、そういう行動に携わらなければ寄付や慈善行為は学べない。ここでもすでにユダヤ人と日本人の間に決定的な差がつく。これが全体としてまずい方向へ向かってる原因のひとつだと思う。話が脱線したが、ツェダカは自分の人生のもっとも大きな命題だと思う。何があってもこの正義を貫きとおす。